ようこそ左膳本店へ!ご訪問ありがとうございます。。。
今年もあと10日を切ってしまいました・・・
人々がお買い物やお掃除、新年の準備等で慌ただしく動いています
そんな中、交差点で立ち話をしているお二方が・・・・?
コチラは鶴丸城の斜め前の交差点に位置しております、
『ウイリス。高木に西洋医学を説く』の歴史オブジェでございます。
鹿児島と西洋医学って少しほど遠い感もありますが、明治初期に
いち早く導入していたのでございます。
氏は、1862年に英国領事館付医官として来日しました。
日本に滞在した期間は約15年。ちょうど明治維新前後の激動の時代でございます。
生麦事件や薩英戦争に直接遭遇した後、戊辰戦争に際しては
双方の負傷兵の治療に当たる等活躍しました。
その時にも『英国外交員なので』といって新政府からの
給与は受け取らなかったそうです・・・
その後、明治政府が設立した東京医学校兼大病院の長に就任いたしました。
が、新政府がドイツ医学を専攻したため氏は辞職。
氏の働きを良く知っていた西郷隆盛の招聘により、
明治2(1869)年に鹿児島に来鹿。鹿児島医学校兼病院の開設に当り、
西南戦争の勃発によって鹿児島を去るまで、鹿児島に近代医学を導入し、
その発展に大きく寄与いたしました。