いらっしゃいませ。
左膳天文館店へようこそ・・・
4月も半分を過ぎまして、あれだけ
咲き乱れていました桜の花も”葉桜”になり。。。
以前ご紹介しました、鶴丸城のお堀も・・・
緑一色。
そのお堀から城山方面に向かいますとすぐ上に
薩摩義士の碑というのがございます。
これは宝暦3年(1753年)12月25日江戸幕府は
当時幕府につぐ強大な力を持っていた薩摩藩に木曽三川
(今の岐阜県)の治水工事を命じました。
工事は薩摩藩家老の平田靭負(ひらたゆきえ)が総奉行
となり幕府の厳しい圧迫と疫病に苦しめられながらも
薩摩の武士の血と涙と汗で見事に完成させました。
またこの時の工事期間中に51名の割腹者と33名の病死者を出し、
多額の費用を費やした責任を負い、平田靭負は
宝暦5年5月25日自刃しました。時に52才。
昭和46年7月。鹿児島県と岐阜県は姉妹県盟約を結び、
中学生・高校生の交流や教職員の異動などもあります。。。
250年経った今でも固い絆で結ばれているのは、
こうした先人の偉業のたまものであります。